はじめまして。50代の左官職人の左官屋おやじです。
人生経験で得た体験をもとに、あなたに健康で楽しく生きる知恵や知識をアドバイスしたい。
おやじの10~40代での失敗談や体験談は、きっとあなたの人生をよくする教訓になると思います。
おやじの記事は、人間関係のライフハック、病気予防の知識、幸福度アップ、仕事に対する心得、生活の知恵、生き方、建設業の現状などについて書いてます。
興味のある記事があると幸いです。
建設業の若手後継者不足は、とても深刻です。
ブログをとおして 若手に建設職人を アピールしたいと思いました。
ブラック企業やフリーター、非正規派遣労働者よりも技能系職人のほうが、将来性があると考えてます。
社会問題の 少子高齢化・若者の貧困・職場の人間関係 などにいろいろ思うところがあります。
おやじにも 高校生の息子がいます。
70代の母親も 健在です。
少子高齢化社会は、他人事ではありません。
幸せな未来のために、今できること提案したいです。
世代間対立を煽る風潮を、すこしでも止めるような記事を書きたいです。
若者たちの幸せに役立つ記事を書きたい。
そんな気持ちでブログに挑戦します。
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左官屋おやじの生い立ち【興味のある方は読んで下さい】
おやじにも子供時代がありました。
オイルショックなどの一時的な不況もありましたが、平均して右肩上がりの経済成長期でした。
その頃の大人たちは、良くも悪くもエネルギシュで自信に満ちていました。
大人も子供も、よくケンカしていました。
喫煙🚬や飲酒は、大人の象徴でした。
もちろん、スマホやインターネットはありません。
知りたいことは、図書館で調べるか 学校か塾で学ぶしかありませんでした。
男らしくとか女らしくという言葉が、まかり通っていたんだよ。
子供時代のおやじは、いたずらずきで学校の先生によく怒られてました。
ピンタやげんこつ、ケツバット(木の定規でおしりをたたく)は日常茶飯事でした。
親も文句をいう人はほとんどいませんでした。
悪い事すれば殴られるのが当たり前の時代でした。
私は、職人の子供で 多くの職人さんを見て育ちました。
運動も勉強も人並みにできましたが、感情のコントロールがへたくそで不器用な子供でした。
中学生の時、転校を機に人間関係で悩みました。
これを機に、高校では空手部に入りました。
部活は、厳しかったですが【心・技・体】本当に学びがたくさんありました。
高校生の長期休みのときには、建設現場でアルバイトしてました。
こんなきつい仕事 おれには 絶対無理だとおもっていたよ。
部活もあり 年間数日ていどのアルバイトです。
1日 8000円〔交通費別途支給〕・おこずかい 3000円の私には魅力がありました。
職人さんたちも優しかった。
今から思い返すとこれが選択肢に影響を及ぼしたと思います。
本職になると厳しくなるのは当たり前ですね
大学時代は、とにかくたくさん働き、派手に遊びました。
浪人生のころに、1日14時間以上勉強した反動ですね💦
日本中を貧乏旅行したり、スキー、ゴルフ、飲み会、麻雀、競馬、パチンコあらゆることを夢中で楽しんでいました。
みなさんは、おやじのマネしちゃだめだよ~
親不孝をしたと反省しているよ。
しっかり、勉強していれば ちがう人生だったと思うよ。
パソコンが苦手なので サラリーマンより職人のみちを選んでしまいました。
バブルがはじけて 建設業の冬がきました。
結婚してまもなく父親が亡くなり 家のローンが残りました。
妻と息子が 病気になり金銭的に苦しい時もありました。
この頃の私は、ホリックワーカーのように働いてました。
この頃に、改修工事や新築工事
色々な経験をたくさん積んだことが役に立っているよ。
妻と息子の病気回復とローン返済がおわると気持ちに変化がうまれました。
職場もかえて以前より労働時間がへりました。
気持ちにも、経済的にも余裕がうまれ自然と笑顔が ふえてきました。
『私の笑顔は 家族全員の笑顔をもたらすことを知りました。』
しかし、30~45歳のときの様々な失敗や反省こそが、今の私の土台になっているのです。
時間やお金にある程度の余裕がないと、
気持ちにも余裕がもてないと知ったよ。
私の願いは、
母と妻と息子の幸せにすることです。
そして、おやじも幸せになりたいです(笑)。
あなたの幸せも、わたしの希望です。
あなたの幸福度アップに貢献できる記事をかきます。
おやじは、説教がきらいです。
あなたも嫌いでしょう。
ですから、アドバイスや
提案くらいに思って読んでほしいです。
長々とおやじのプロフィール読んでくれて感謝します。
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